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【笑える毒の声】マウンター合戦と、窓の向こうの木漏れ日

これまで、沈黙の内側にあった記憶を、
少しずつ、少しずつ言葉にしてきました。

どの声も、吐き出すというより、
「在ること」を確かめるように、
触れるたびに少しだけ、痛みが和らいでいくものでした。

でも5回目の今回は、少しちがいます。

曇った窓をふと開けたように、
霧の中からあたたかな光が差してきた気がしたんです。

心の奥にある毒は、まだ完全には癒えていません。
それでも、
少し笑いながら、この世界の不思議さに首をかしげてみたくなった。

そんな「笑える毒の声」、
はじまりの一篇です。

最近のSNSって、
誰かの失敗ややらかしで急にお祭り騒ぎになる。

ちょっと弱った人、
不倫した有名人、
昔やんちゃだった人。

「それ、今たたく必要ある?」ってくらい、
正義のハチマキを巻いた人たちが集まり出す。

誰かを叩く正義の人に、
今度は“もっと正しい正義”を掲げたマウントマンが登場。

そのマウントマンに、さらに別のお山の大将が出てきて――
もう、気づけばSNSはチャンバラ大会。

きっとどこかで「VSマウント選手権」とか開かれてる。
エントリーは無料、武器は言葉、勝敗はバズで決まる。


政治や外交のことなら、
知識と経験がものを言うから、下手なバトルはできない。
でもSNS上では、**“気持ちが強いほうが勝ち”**になっている。

そんなバトルを、今日もタイムラインで見かけた。
ちょっと笑って、でも少し悲しくて、
私はその“思想闘技場”の窓辺に目をやった。


ふと、カーテンの隙間から光が差していた。

そのとき、思った。

正しさって、
振りかざすよりも、
静かにたたむほうが美しいかもしれないなって。

誰かに勝つための言葉よりも、
誰かを静かに見守れるまなざしのほうが、
今の私には合ってる。


SNSで剣を振るうよりも、
木漏れ日の下で一息ついて、
「さて、政治のニュースでも読んでみようか」と思った。

それは降りるでも逃げるでもなく――
自分の頭で、もう一度考えるための静かな再起動だった。

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