才能を封印してきた理由と、それでも抜くという祈り
宇宙が誕生したとき、
私はたしかに “才能”という名の剣を授かった。
けれど、それを最初に引き取ったのは、
悪意の巣窟のような場所だった。
幼いころ、傷ついた記憶と同じ空気の中で、
この剣は、鞘に入れられたまま錆びていった。
毒にまみれた才能を振りかざすこと。
それは、怒りや復讐のためではなく、
悪因縁を断ち切るための行為でなければならない。
私の苦悩はいつだって、
“剣を抜けない自分”との対話だった。
だから私は、まず在り方を見つめ直した。
堂々と力を使うとは、在ることの姿勢に他ならない。
それでも──怖いのだ。
この鋭利な感覚を、剣として抜いてしまったら、
誰かを傷つけるのではないかと。
誤って自分を切ってしまうのではないかと。
けれど、もう一度言おう。
毒を晴らすには、勇気を持って剣を抜くしかない。
剣は、私の中にある。
そして、道を切り拓くのは、この手しかない。
ヤマトタケルは、最後のときに剣を忘れた。
私はそれを繰り返さない。
たとえ灼熱の炎に包まれても、
息吹の山の謝意念にさらされても、
私はこの剣を鞘に入れたまま、持ち歩く。
草薙剣の記憶を忘れずに。
この毒を、ただの過去にはしない。
それは仮想敵かもしれない。
火葬された敵かもしれない。
けれど、いまの私にはそれを判断する必要はない。
剣は、“使うとき”が来たときに光る。
それまではただ静かに、在るだけでいい。
未来を創るときに。
大切な誰かを守るときに。
闇を切り払い、次の光を迎えるときに。
どうかこの剣を、鎖に変えてしまわぬように。
毒にまみれた才能は、
天災ではなく、天才を生むために用意された“敵”だったのかもしれない。
毒の鞘を抜いたとき、私はようやく光の輪郭を知った。
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