信じたかっただけなのに──カルトと私のすれ違い
むかしむかし。
上九一色村にある宗教団体が、ある朝、日本を震撼させる事件を起こした。
それが1995年3月20日、地下鉄サリン事件。
私は当時20歳を少し過ぎた頃。
ノストラダムスの大予言が世間をざわつかせていて、
終末論とオカルトと宗教とが、街角に混ざり合っていた。
世界の終わりは、本当に来るのかもしれない。
湾岸戦争の映像を子どもながらに見て怖れたあの日。
「何かが壊れる」気配だけは、肌にまとわりついていた。
そんな頃だった。
私は“ある女性”に出会う。
■ ご近所掲示板から始まった
たしか「ご近所さん」という、地域掲示板的なサイトがあった。
そこで出会った女性に誘われ、名古屋にあるヨガ教室へ通うことになった。
そこは静かなサロンで、インストラクターの女性は優しく、
不思議な体感があった。
当時はスピリチュアルな力など持っていなかったが、
なぜかその空間だけは“整って”いた。
本屋に勤めていた私は、「出版」という言葉を意識し始めた頃だった。
理屈よりも、感覚を大事にしていた。
ヨガ教室の内容そのものには、特に問題はなかった。
でも、あるとき突然、違和感が走った。
■ メールの差出人が「変わった」
主催者からのメールアドレスが、
ある日「後継団体の名称」を冠するものに変わった。
それが「アレフ」。
つまり、あのオウム真理教の後継団体である。
不安と恐怖が一気に広がった。
二度と、サロンには行かなかった。
しばらくして、警察からの連絡があった。
「あなたが通っていた場所について、話を聞きたい」と。
本当にギリギリのところだったのだと知った。
■ 毒を吐くとしたら
あのときの自分に、ひと言だけ毒を吐くなら、
「もっと早く気づけ。
きれいな女性からの誘いに、何か裏があるかもと疑え。」
──でも、その“きれいな女性”という存在には、
もっと昔から弱かった。
大学時代。
デート商法まがいの手口で、英会話教材とパソコンスクールに入会させられた。
流れるようなトーク、優しさ、好意…
すべてが、罠だったと知ったのは、ずっとあと。
断れなかった。
「期待されること」=「好かれていること」だと思っていた。
カルトの最初の扉は、
多くの場合、“好意”というやさしい毒から開かれるのだと思う。
■ 洗脳の入口は、信じたくなる誰かの中にある
人は、心を許した相手の言葉を、疑わない。
だからこそ、
洗脳というのは、怖さよりも、“安心の中”に入ってくる。
それを解くためには、
誰かの正論でもなく、冷静な説得でもなく、
「ショック」だけが効くことがある。
私にとってのショックは、
あのメールアドレスの変化だった。
「これは違う」と、魂が背中を押した。
そして私は逃げた。
■ あとがきに代えて
カルトに取り込まれそうになった私は、
その後しばらくして“新しい関係”を築けるようになった。
あの頃、
信じることと、従うことを、間違えかけた自分。
誰かを信じたい気持ちが、
いつかまた「誰かと並んで歩く力」に変わってくれたらと、
今ではそう願っている。
🌙 一行ポエム(結び)
信じたかっただけなのに、信じる力を奪われかけた。
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