神棚を降りたあと、私の覚醒は地味になった。
見えすぎる世界は少しにじんで、でも代わりに、酒がうまくなった。
スピリチュアル系の宴というのは、なかなかに独特だ。
マルシェの後やセッションイベントのあと、
自然と居酒屋に流れ込んで始まる“第二ラウンド”は、
たいてい不思議な話のオンパレードになる。
UFOを見た人、龍の背中に乗った話、
ツインソウルと出会ったかもしれない記憶……。
それぞれの“視えてる世界”が飛び交うのだから、もう宇宙。
その場にマウンターがいるわけではない。
でも、話題の中心になりたがる人はやっぱり出てくる。
みんな、自分の体験をシェアしたい。
それが“確認”なのか、“誇り”なのか、“癒し”なのかは人それぞれだ。
私自身、男性としてつい脇が甘くなることがある。
特に、可愛い女性から「これってどう思う?」なんて聞かれると、
つい真面目に向き合ってしまって、鑑定モードに入ってしまう。
しかも、飲んでいると忖度なしにズバッと言ってしまうのだ。
場がシーンとなることもあるけど、
そこはお酒のマジックで苦笑いに変わっていく。
面白いのは、鑑定をしているはずの自分が、
誰かに逆鑑定されてることもあるということ。
「最近どうなの?」と聞かれ、
「いや、自分が何を望んでたのか分かんなくなっててさ」と言ったら、
気づけば相互セッションが始まっていた。
普段は絶対に「他人の鑑定なんか受けない!」と硬派な顔してる人も、
宴の空気に呑まれると、不思議とプライドがゆるむようだ。
その夜、印象的だったのは最後の締め。
とくに打ち合わせもなかったのに、
誰かが突然、宇宙語で話しはじめたのだ。1分くらい。
通訳はなし。
でも、誰も笑わず、誰も止めなかった。
不思議と、全員が“何か”を受け取って、頷いて、
「じゃ、またね」と解散した。
私はというと、マルシェではお客様対応に全集中して、
他のブースを回ったりしない。
人見知りなのもあるけど、
「すごい人っぽく見られたい」
「何か見えてる感を出したい」
でも実際は、見栄っ張りで、よく迷子にもなる。
スピリチュアルの世界は、見えすぎる人ほど、
意外と見栄や寂しさや、おかしみを抱えているのかもしれない。
そう思いながら、
私は今夜も静かに、誰かの話に耳を傾ける。
かつて私は、お神酒として奉納されるような滑稽な“神様扱い”を受けていた。
祀られて、崇められて、でも実は誰とも乾杯できない孤独な存在だった。
今では人と同じ席に座り、気取らず酌み交わす酒のうまさを知っている。
見えすぎる目を伏せて笑い合うその時間が、覚醒よりも沁みる夜もある。
神棚を降りた私は、ようやく本当に“一緒に飲める”ようになったのだ。
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