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【毒の哲学】鬼が神だった土地の話

邪悪とは、いったいどこの記憶なのだろうか?
毒という括りの中にある、悪魔、生霊、悪霊、嫉妬、堕天…
その源に、私たちは触れたことがあるのだろうか。

ひとつの仮説として——

それはきっと、宇宙が誕生するより前の話なのだと思う。
あるいは、“出来事として語られなかった”出来事。
記憶ではなく、記録にすらならなかった層にある何か。


もし今、あなたが邪悪な気配にさらされているなら、
それはもしかすると、
宇宙に入りたがった存在たちの、太古の争いの断片
巻き込まれてしまったのかもしれない。

その記録はまだ宇宙のどこかに残っていて、
私たちはときどき、それに触れてしまう。


かつて、そんな邪悪が秩序そのものだった世界が、たしかに存在していた。
人はまだ“人”ではなく、
野生でも、霊でも、神でもない。
争いが正義であり、
正義にとっての“悪”は、善良だった。

宇宙の秩序が生まれる以前、
この宇宙に邪悪という要素を招いてもよいのか。
そう問い直すための、試作宇宙だったのかもしれない。


長い年月の中で、
その邪悪は少しずつ変容していった。

悪魔は悪霊に、
悪霊は悪鬼に、
そしてある存在はルシファーという光の名を得た。
その過程のどこかで、
鬼が生まれた。

鬼はもともと、
ある土地で奴隷として飼われていた人間たちを助け、
ともに逃げた者だった。

逃げ延びた先は、極寒の地。
誰も生きられないような、毒が凍る場所だった。


鬼たちはそこで、世界を開いた。
彼らを追った“灼熱の悪魔たち”とは異なり、
寒さの中で毒が静まり、
人はようやく言葉を取り戻した。

そこには、
他の土地で迫害を受けて逃げてきた者たちも集っていた。
鬼と人は、共に暮らした。

しかし——
外から来た人々にとって、鬼はなお恐ろしかった。
その姿には、かつての迫害者の影が色濃く残っていた。


そこは、毒の中和地点だった。
毒を“消す”のではなく、
“動かさずに静める”ために選ばれた土地。
寒さの中で毒は凍り、傷は語られるようになった。

毒とは、被害者の集まる場所から生まれるのではない。
けれど、毒だと認識される背景には、
常に誰かの痛みがある。

強者と弱者が生まれたとき、
毒は影のように世界に差し込む。


かつて鬼と呼ばれた存在は、
悪魔から逃れた。
人は、人から逃れた。
そして、毒の中で、共に住まうことを選んだ。

共存は難しかった。
けれど、それもまた——

宇宙が静かに見つめていた、“検証のひとつ”だった。


目次

✨読後の余韻を深めるために

  • この話は神話ではありません。
  • けれど、私たちの中にも「毒が動かない場所」を求める感覚はあるはずです。
  • あなたの中の鬼、あなたの中の毒、それらを“消す”のではなく、“静かに凍らせる”場所を思い出せたら——
  • この物語は、あなたの記憶にも繋がっているのかもしれません。
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