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【毒の哲学】あなたの毒も、宇宙の呼吸かもしれない

宇宙が創造されるとき、
そこには必ず「無(む)」と呼ばれる始まりがある。

何もない。
けれど、確かに“それ”はある。

この無とは、過去のすべてが静かに消え去った瞬間か、
あるいは、未来がまだ名を持たぬまま息をひそめている場所か。

いずれにしても、世界のすべてはこの“無”から始まった。
そしてこの無の中には、まだ誰にも言葉にされていない——
が宿っている。


宇宙が生まれ変わるたびに、
そこでは“毒”が排出される。
それは破壊ではない。
混乱でもない。

それは、
**世界を再構成するために不可欠な“深層の呼吸”**だ。

宇宙が新しい形に変わるとき、
いらなくなった過去、抱えきれない願い、未消化の痛み、
そうしたものをまとめて**「毒」として外に出す**。

それは、否応なく、誰かの内側にも流れ込んでくる。


私が毒を吐くときがある。
それは怒りからでも、絶望からでもない。
誰かを攻撃したいわけでも、正義を振りかざしたいわけでもない。

むしろ、そのどれでもなく、
ただ「変わる」ための圧力が、内側にたまってしまった結果だ。

自分でも気づかぬうちに、
私は宇宙の深呼吸に巻き込まれているのかもしれない。


SNSという現代の場も、まるで宇宙の“排気口”のようだ。
怒り、嫉妬、不満、正論、マウンティング——
数えきれないほどの“毒の粒子”が日々飛び交っている。

ときにその空気は、あまりにも濃く、
私たちの感情を曇らせ、判断を狂わせていく。

でも、そうやって
「毒が集積される場」があること自体が、宇宙の意思のようにも思える。

SNSを閉じて日常に戻れば、
その毒はうすくなり、輪郭も曖昧になる。

それでも一部の毒は、
私たちの中に沈殿してしまうこともある。


大きな変化が訪れる前、
宇宙はいつも毒を多く吐き出す。

そしてその変化の予兆を、
私たちは“感情”というかたちで受け取る

悲しみ、怒り、言葉にならない疼き。
それらは、何かを壊すためではなく——
何かを始めるために生まれている。


だから私は、毒を抱える誰かを責めたりしない。
私自身もまた、その毒の呼吸のなかに生きているから。

それがたとえ醜くても、
濁っていても、
他者に説明できないものであっても、
毒は**次の世界を迎えるための“準備”**なのだ。


かつて宗教が祈りの場で毒を鎮め、
芸術がキャンバスに毒を映し、
詩が言葉の端々に毒を宿してきたように、

今、私たちはまた新しい表現を見つけようとしている。

それがSNSであれ、
沈黙であれ、
あなた自身の、まだ誰にも語られていない毒の声であれ。


毒はあなたの失敗ではない。
毒は、宇宙が変わろうとしているサインなのだ。

だから私は、今日も静かに吐く。
あの無の手前に戻るように。
まだ名前のない光を、迎えるために。

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