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【毒の声】ことばを失ったスピリチュアルに、毒の声を添えて

― スピリチュアルの未来に、今こそ“言葉”を ―

なぜ、私はこのブログ『毒の声』を続けているのか。
今日はその核心にある志と、未来への展望を綴ります。


スピリチュアルの世界は、近年ますます開かれ、覚醒体験を語る人も増えてきました。
光のようなスキルやインスピレーションが一斉に解放され、まるで“新しい時代”の幕開けのような空気も流れています。

けれど――私はそこに、静かな違和感と、大きな危機感を抱いています。

覚醒や能力の開花は、それだけで祝福されるべきことです。
しかし、それが現実の足場を手放し、生活や仕事、社会参加を曖昧にするような流れになっていないか?

自らを「神とつながる者」と信じて、政治や社会に対して無邪気に介入しようとする言動が、かえって新たな支配構造やカルト的な秩序を生み出しはしないか?

実際、スピリチュアルの中で“なんとなく”や“感覚的に”という表現が増え、言葉が失われつつあるように感じています。
そして、言葉を失ったとき、人は自分の現在地さえ見失ってしまうのです。


私たちは、現実と非現実の間でバランスを保ちながら生きる必要があります。
どんなに神聖なメッセージであっても、それを受け取る人間が地に足をつけていなければ、社会や他者との接点を保つことはできません。

これは、個人の覚醒だけでなく、未来の社会そのものを守るための問いかけでもあります。

かつて世界宗教が数百年かけて作った“信仰と社会”のバランスを、スピリチュアル界隈の一部のインフルエンサーが数年で再構築しようとするのは、あまりにも危うい。
ましてや統一的なスピリチュアル思想を広めようとする試みは、歴史の失敗を繰り返すかもしれない。


だからこそ、私はこのブログを通じて**“言葉”で闇を照らしたい**のです。

このブログは、スピリチュアルへの怒りや否定ではありません。
ただ、今のスピリチュアルに欠けている「自省の文化」を、
そして、“陰”の存在を受け入れるための冷静なまなざしを、言葉で形にしていきたい。

私たちは光と闇の間にいて、毒と向き合いながら生きている。
だからこそ、毒を光に変える“言語化”のプロセスが必要だと、私は信じています。


100年後、200年後。
もしもこの世界に新しい精神文明が芽吹くのだとしたら――
それは、スピリチュアルの暴走を止める小さな言葉たちから始まっていくのだと思うのです。

そして私のこの発信が、その一歩になればと願っています。

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