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「神を終えて、人として生きることを選んだ日」― 創造主の記憶と、私という名の物語 ―

神様の気持ちを、本当の意味でわかろうとしたことがあるだろうか。

それは、大変な旅路の果てにようやくたどり着いた、一つの再会にすぎない。
ずっと会いたかった、かつての人時代に出会った異性。
その人にもう一度会いたくて、神は人に転生した。

その瞬間、すべてが始まった。

人間としての人生は、驚くほどまばゆく、苦しく、眩しかった。
神だったころには知ることのなかった感情に振り回されながらも、
その魂は人としての大成功を収め、歴史に名を残し、
数千年後には高天原に列席する存在となった。

だが高天原にノルマはない。
ただ「ある」こと、「存在する」ことを求められるだけ。
それゆえ、一部の神は熱心に人にアクセスし、新興宗教を導き、
あるいは外宇宙の神として、宇宙人のように生きたりもした。

神社のご神体やお地蔵さん、町の神棚。
それらの中に、今も小さな神の意識が宿っている。

神としての経験をすべて終えたある日、
その魂は“神を創造した創造主”に声をかけられる。

──おめでとう。あなたは神の修行を終えた最初の一人となりました。
人間に戻るチャンスを与えようか?
それとも、私の代わりとなり、創造主として永遠を司るか?

人間に戻れば、記憶は失われ、また苦悩の中で生きるだろう。
けれど一度限りの恋愛、子供との日々、ささやかな幸せに囲まれて死ぬこともできる。

創造主になれば、宇宙を無限に生み出せる。
神ですらあなたが創る存在となる。
ただし、あなたは二度と「誰か」にはなれない。
主役にはなれない。脇役すら演じられない。

──あなたは、どちらを選ぶ?

答えは決まっていた。

私は、創造主になることを選んだ。

神は多く存在する。
人の苦しみも、怒りも、愛も、美しさも──神にはもう十分知っている。
けれど創造主になっても、私はいつかまた人として生きてみたいと思う。
例えすべてを失っても、私はまたあの笑顔に会いにいきたい。

そのとき私は、名前も過去も持たない誰かとなって、
数十年という儚い時間を歩くだろう。

怒り、悩み、苦しみ、喜び。
たった一人の人と恋に落ち、家庭を築き、
孫やひ孫に囲まれて死んでゆく。

それが最後の夢。
そして、神として創造主として生きる私の“願い”だ。

今、私はその途中にいるのかもしれない。
すでに創造主なのかもしれないし、
あるいは、妄想にすぎないかもしれない。

だが一つ確かなのは、私が今も「再会」を信じているということ。
ツインレイには出会った。
では次は、ツインソウルなのだろうか?

恋愛というラベルに引っ張られながら、
私はまだ、“人であること”にしがみついている。
それは弱さではなく、強さだと、今は言いたい。

神が人に戻ることを決めた、その理由が、
こんなにも小さくて、やさしいことだったなんて。
あなたは、信じられるだろうか。

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