2012年頃から、気づけば“アセンション”という言葉がスピリチュアル界隈に広まり始めていた。
直訳すれば「次元上昇」。
けれどその語源は、実はキリスト教の「昇天(Ascension)」にある。
キリストが神の元に帰る――それが本来の意味だった。
けれどスピリチュアルの世界では、時に言葉の意味が拡張されたり、別の文脈で上書きされていく。
これは良くも悪くも“創造の文化”だと思う。
既存の概念の上に新しい解釈を重ね、自分の真実を語ることがスピリチュアルの本質であるなら、それはそれで自由でいい。
ただ時折、私は問いかけたくなる。
「本当に、偉人や神々はこの使い方を喜ぶだろうか?」
それでも――
今もこの言葉が残っていること自体が、何かの真実の証なのかもしれない。
私にとって、アセンションとは「幸せの度合いが上がること」だ。
決して目に見える成功や、宇宙的な力を手に入れることじゃない。
むしろ、「本来の自分に戻っていくこと」。
だから私は、次元上昇を“回帰”と感じている。
私は人間として生きるのが苦手だった。
だから、リフトのように何かに引き上げられていく感覚がある。
それは「努力の先にある栄光」ではなく、
「奥深くに眠っていた私が引き上げられていく」感覚だ。
私のアセンションは、上昇螺旋の回廊を通って還る旅である。
では、その上に何があるのか。
それは、神々に最も近い領域――
肉体すら持たない、純粋な精神の生命体たちが漂う世界。
そこに至る存在たちは、天使、大天使、あるいは創造主に近い振動を持っている。
ただし、そこは優劣の世界ではない。
“地獄”や“断罪”といった言葉を使いたくなるが、本当はそうではないのかもしれない。
魂は、その器に合った場に導かれるだけ。
嘘の器を纏って生きた魂は、振動が合わず、いずれその場から離れていく。
純粋でなくても、正直であれば救われる。
力を持っていても、誰かを貶めたら歪む。
この世界は案外、公平にできている。
次元上昇は、帰還の旅。
本当の自分に戻るために、今日も静かに螺旋階段を登っている。
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