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【毒の根源】 毒を抱えた私が、それでも共鳴を選んだ日

宇宙が生まれたとき、私の毒も生まれた

──記憶と魂の深層をたどる39本目

宇宙が誕生した、その起点のような瞬間に、
私の中にもひとつの「毒」が芽生えました。

それは、言葉にならない“痛みの種”のようなもの。
何かを見てしまった、
何かを知ってしまった――
けれど、それを語ってはいけない感覚とともに始まった、魂のひび割れでした。


目次

200年後へのメッセージと、リーダーの声

そのとき私は、高台のような場所から、
200人ほどの人々に静かに語りかけていました。

「今ここで、200年後に備えなさい」

このメッセージを受け取った、中心にいたひとりの女性。
彼女は、精神的な中継役のような存在で、
その声は、どこかで確かに知っている人のものでした。

彼女は、はっきりとこう答えてくれました。

「これは決してカルトにはしません。
誰かを支配する場ではなく、
誰もが安心して立ち寄れる、やわらかく心地よい空間にします。
自分たちの正義を他者に押し付けない、
排除ではなく共鳴を選ぶ、そんな場所をつくります」

彼女の言葉は、宇宙全体に響くように、ゆっくりと広がっていきました。


その後、現実で出会った「毒」

あの時の記憶が、今も私の中には残っています。
けれど、それ以降の現実で出会った多くの“リーダー”たちは、
その在り方とは大きく異なっていました

  • できない私を矯正しようとする人
  • 善意という名の下で、行動を制限し、価値を決める人
  • 「これが正しい」と断定し、他者の人生に土足で踏み込む人

彼らは、まるで**「正義の押し売り」という毒**を振りまいているように感じました。

でも、それは“邪気”というより、
それぞれがまだ消化しきれない痛みや信念を、外に投影していたのだとも思います。

つまり、それもまた「毒」――
ただ、私とは違う成分の毒だっただけ。


私が本能的に怖かったのは、“共鳴を拒む声”

私が本当に怖かったのは、
共鳴しようとせずに、「答え」を押しつけてくる声でした。

あの200人に語ったときのような、
静かに耳を澄まし、響きを聴いてくれる声とは、
まったく反対の方向を向いているような声。

とくに同じ領域で活動している人で、
「こうあるべき」「あなたは間違ってる」と断定するような言葉を向けてくる人が、
私はどうしても苦手です。

それは、あのとき私が描いたリーダー像――
支配や排除ではなく、共に在ろうとする人の姿と、あまりにも違っていたから。


思い出す、高千穂の旅

2012年の秋、私は日本を巡る旅に出ました。
初めての高千穂、出雲、――
約10日間、ただ「感じる」ことだけを目的に移動していました。

フェリーで宮崎港へ

北上し延岡経由の高千穂で数日過ごした後、鈍行で出雲に向かう

高千穂では、確かな感覚がありました。
天と地が交わるような、深い静けさ。
自分という存在が溶けていくような、懐かしい記憶の重なり。

あの場所へ、もう一度だけ行きたい。
でも次に行けるのは、おそらく“最後”になる気がしています。
一人ではもう行けない、という感覚もある。


今、私が信じていること

毒を持つことは、悪いことではありません。
毒は、その人が経験してきた痛みの結晶であり、
それを無理に消すことは、その人自身を否定することにもなります。

でも、毒を振りまくことは、違う。
それは、無意識のうちに誰かを支配したり、閉じ込めたりする行為へと変わる。

だから私は、自分の毒を見つめながら、
誰かと“共鳴する道”を選びたい。
あの時、宇宙に響いた言葉のように――
ただ静かに、共に在る場をつくっていきたいのです。

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