🌿 毒と正義のはざまに、新しい祓いが生まれた
──高千穂で感じた、鬼と人間と神々の物語
この記事は、私が高千穂を初めて訪れたときに内面的に感じ取った、個人的な神話記憶です。歴史書ではありません。ただ、もしかすると、どこかに繋がる記憶の糸があるかもしれません。
🔱 鬼と人間の争いがあった場所
伝承されている天孫降臨の物語は、とても美しい平和なものでした。けれど、私が高千穂で感じたのは少し違います。
その地では、人間と鬼が激しく争っていました。怒り、憎しみ、恐怖が絡まり合う場所でした。そこへ、高天原の神々を案内するサルタヒコの導きで、ニニギノミコトが降り立ったのです。
神々は怒りや憎しみを鎮めるために、力で制圧するのではなく、「空間」を創り出しました。祈りと舞、沈黙と静けさが渦巻くその空間で、戦いは自然に収束へと向かっていきました。
🐉 鬼たちが新たな叡智を得て移住した
その後、鬼たちは追放されたのではありません。むしろ、新たな土地へと丁寧に導かれていきました。
移動先は、熊本県の幣立神宮周辺、そして鹿児島の桜島付近です。
鬼たちはその場所で、新たな叡智を育み、別の文明を静かに築いていった――私はそう感じています。
⚖ 毒が叡智へと変化する瞬間
毒とは、必ずしも消し去るべきものではありません。それは、正義や怒り、執着といった感情が凝縮したもの。
神々が争いの場に作り出した静かな「空間」は、この毒を叡智へと変えました。ここで行われた静かな儀式こそ、今私たちが知る「祓い」の原型になったのではないかと思うのです。
🌀 正しさが毒になる瞬間
現代のスピリチュアルな場面でも、私たちはしばしば「正しさ」の争いに巻き込まれます。
「私が正しい」「相手が間違っている」 「私は光だ」「相手は闇だ」
こうしたジャッジメントが、知らぬ間にお互いを傷つける毒へと変わります。
でも、私が高千穂で感じたように、本当に必要なのは、毒を消すことではなく、毒を静かに抱えながら「共にあるための空間」を創ることかもしれません。
💫 私たちにできる小さな実践
この記事を読んだあと、30秒だけ目を閉じてみませんか。
そして、自分の中にある「正しさ」をひとつ思い浮かべてみてください。それはもしかすると誰かを傷つけてしまうかもしれない、そんな可能性を含んでいることを少し感じてみましょう。
あなたが抱えるその毒が、静けさの中で少しずつ叡智へと変わることを祈っています。
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