「自分を救えるのは、自分の毒だけだった」
この「朧宙」ブログも、ついに50本まであと少し。
80本までは書ける予感がしているけれど、今日はひとつの中締めとして、これまでの軌跡を静かに振り返ってみたい。
■「毒の声」と共に始まった旅
このブログの原点は、どうしようもない被害者意識だった。
それは弱さと紙一重で、誰かに守ってほしい、助けてほしい――そんな叫びに近かった。
人に頼られることで、自分の価値をやっと感じられるようになっても、
その裏で私は、別の誰かに依存してしまう構造から抜け出せずにいた。
■幼いころの記憶と、心の傷跡
虐待の記憶は、いつも心の奥に沈んでいる。
何かを楽しむよりも、ただ生き延びるために笑っていた。
その笑顔は、愛されるための仮面だった。
私はずっと、「愛されなかった人間」として生きてきた。
その痛みを、ただ見ないようにしていた。
だけどそれは、次の時代に持ち越したくない「カルマ」そのものだった。
■セミナーでもない、誰かの手法でもない、“私の言葉”で癒やす
私は「自分の毒」を癒すために、誰かのメソッドを使わなかった。
なぜなら、どのメソッドも「私のため」に作られたものではないから。
他人の哲学で生き延びるのではなく、
自分の苦しみから、自分の手で“言葉とワーク”を生み出していく。
それがこのブログの真の目的だった。
最初はただの愚痴でも、
少しずつ思考が深まり、
やがて“哲学”として立ち上がっていく。
■アンチ、誹謗中傷、そして“解毒”
私は一度、激しい誹謗中傷にさらされたことがある。
深夜に何通も送られてくる人格否定のメール。
誰にも助けを求められず、ただ耐えるしかなかったあの時間。
訴える気力すら奪われていた。
それでも、私は立ち上がった。
その頃が過ぎると、なぜか大きなビジネスチャンスがやってきた。
もしかしたら、あの試練は“解毒の前兆”だったのかもしれない。
■毒の声を、昇華し、光に変えていく
今、私は思う。
毒の声を言葉にすることで、自分を少しずつ軽くできる。
言語化して昇華していくことで、“次の幸せ”への準備ができる。
それは誰かに癒されることではなく、
自分が「自分の神事」を執り行うようなプロセスだった。
私は誰かの教えに従って生きるのではなく、
自分の毒とともに、“私の人生”を生きる。
■最後に
能力があるから使うのではない。
愛されたいから能力を使っているわけでもない。
ただ、誰よりも孤独だった私が
世界とつながる手段として、能力という“手渡された光”を使っている。
誰も助けてくれない場所で、自分を救う言葉を紡いできた。
そして、今この瞬間も、
まだ誰にも届かないかもしれないこのブログを綴り続けている。
「毒の声」は、私の悲しみの記録ではない。
未来の静かな歓びの種である。
そう、私は信じている。
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