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水だけでいい。命がまだ続いている証拠
~ご飯が喉を通らない日へ~
何も食べられない日がある。
たとえ空腹を感じても、
胃の中が空っぽで痛んでも、
食べ物を口に運ぶ気力が湧かない夜がある。
そんな日は、よく言われる
「ちゃんと食べなきゃ」なんて言葉が
刃のように胸へ突き刺さる。
食べることが生きることだとしたら、
食べられない自分は、
もう生きようとしていないのか。
そんな問いが頭をかすめて、
ますます喉が閉じていく。
「生きたいより、生きてしまっているのがつらい。」
希望なんて遠すぎる。
未来の話なんて聞きたくない。
ただ、今日を終わらせたくて
布団の中で固く丸まる。
そんな時は、
無理に栄養なんて考えなくていい。
誰かが作った正しさに
従わなくていい。
まずは、水。
透明なものなら、飲める。
味も匂いもない、
ただそこにある存在。
コップを持つ手が震えても、
一口だけでもいい。
水は、生きることと死ぬことの
ちょうど中間にある。
どちらにも転べる位置で
ぎりぎりあなたをつないでくれる。
飲んだ瞬間、
身体の奥底にある命の細い糸が
ピンと張り直される。
わずかな水音が、
あなたの内側の静寂に波をつくる。
それでもまだ
胸の奥の絶望は消えない。
痛みはそのままだし、
孤独はそこに居座ったまま。
だけど、水は語りかけてくる。
「あなたは、終わっていない」と。
たった一口の水が
世界との接続を切らずにいてくれる。
コップを置いたとき、
ほんの少しでも息が楽になるなら、
それはもう“帰還”の方向に
舵が動いているということ。
生きるのが辛い日は、
何も始めなくていい。
回復なんて考えなくていい。
頑張る必要もない。
ただ――水だけでいい。
その一口が、
あなたをまだこの世界に
とどめてくれている。
水が飲める日は、まだ帰れる。


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