目的を隠した提案に触れた日のこと
ネットワークビジネスの誘いをする人も、ひとりのメッセンジャーにすぎない。
紹介者であり、サービスを伝える役割の人だ。
だから最初に目的を伝えてくれていたなら、私は会いに行き、真摯に耳を傾けただろう。
けれど、その日の入口は違っていた。
交通トラブルで二時間の遅れを受けてから。
ようやく始まった時間の中で、あらかじめ決められていた脚本のように、私は無料鑑定を頼まれた。
役に立てるならと思い、言葉を尽くした。
そして最後に、静かに幕が上がる。
ネットワークビジネスの提案。
「カリスマが来るから会ってほしい」
「面白い反応が見られるから」
その瞬間、場の空気が別のものに変わった。
対話だと思っていた時間
私は、交流の時間だと思っていた。
だから善意で席に座り、心を開いた。
けれど実際には、
私の行う無料鑑定は導線の一部で、
待ち合わせも前座で、
本題は最初から別の場所に置かれていた。
人はそんなとき、言葉にならない疲れを抱く。
怒りというより、虚しさに近い感覚だ。
自分が“人”ではなく、
シナリオの登場人物として扱われたと知るからだ。
目的を伝えるという最低限の作法
もし最初に
「今日はビジネスの紹介が目的です」
と言われていたなら、話はまったく違った。
選ぶ自由があり、
聞く覚悟もでき、
断る権利も守られる。
それが対等な関係だ。
目的を隠した提案は、内容の良し悪し以前に、
順番を間違えている。
順番を失った善意は、どこかで人を傷つける。
カリスマという名の権威
「すごい人に会えば分かる」
その言葉は一見やさしい。
けれど同時に、私の感覚を脇に置く装置でもあった。
違和感を感じる私が未熟で、
会えば変わるはずだという前提。
そこに、対話はもう無い。
あるのは説得と期待だけだ。
独りよがりという静かな毒
提案そのものを否定したいわけではない。
人はそれぞれの信じる道を歩けばいい。
ただ、
目的を隠し、
時間を軽く扱い、
善意を導線に使うやり方が、私はどうしても苦しい。
それは支援ではなく、
独りよがりの自慰提案に近い。
相手の人生を主役にしない善意は、
どれほど笑顔でも重くなる。
それでも信じたい形
私は今も、提案という行為そのものを嫌いとは言えない。
正直な入口から始まるなら、いくらでも向き合える。
・目的を先に置く
・断る自由を守る
・時間を尊重する
その三つさえあれば、言葉は再び光になる。
あの日の違和感は、
誰かを責めるためではなく、
自分の境界線を思い出すための合図だった。
だから私は、
目的を隠さない人とだけ歩きたい。
遅くても、静かでも、対話が対話である場所を選びたい。


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