最近、「波動を高めよう」という言葉をよく耳にします。
それ自体は素晴らしい志だと思うけれど、
私はふと立ち止まりたくなるときがあります。
本当に、私たちは“波動”の意味を理解しているだろうか?
そして、それは一体誰の定義なのだろうか?
私は、人にも場所にも物にも、
それぞれ“内的な振動”が宿っていると感じています。
神社の社や、境内、会社、団体──
すべては器としての存在であり、
その器の中に響く固有の振動がある。
この振動とは、言葉や感情ではなく、
存在そのものが発している静かな動きです。
それは誰かに伝えるためのものではなく、
ただ、その器の中に確かに「在るもの」。
では、波動とは何でしょう?
私はこう捉えています。
振動が他者や空間と共鳴し、外側に伝わっていく運動。
つまり、「内的な振動の影響範囲」が広がっていく現象。
だからこそ、“波動が高まる”というのは、
特別な人になることではなく、
誰かと共鳴できる状態になることだと思うのです。
ここにはヒエラルキーは要りません。
カリスマだけが波動を持っているのではないし、
「高い人」が偉くて、「低い人」が劣っているわけでもない。
どんな人の振動も、誰かと共鳴すれば宇宙を活性化させる。
それは、いわば無限の連鎖反応です。
共鳴の輪が広がるたびに、世界の“気”が温まっていく。
私は、人としての力に乏しいと感じることが多いです。
努力しても報われなかったこともあったし、
チャレンジする前に逃げ出してしまうこともある。
それでも、私の内側には確かな振動があって、
誰かと共鳴できる瞬間が、たしかに存在します。
だからこそ、私は今あるスピリチュアル用語を
一度まっさらな目で見直してみたいと思うのです。
そのまま借りるのではなく、
自分の哲学を通して再定義していきたい。
波動は、高くあろうとするものではなく、
共鳴しあえる状態にあることが尊い。
優劣を競うのではなく、
自分の振動を誇りに感じて、
それが誰かの振動と響き合うことを、
大切にしていきたいのです。
🌱あとがきのようなひとこと
波動を高めるという行為に、
本来、誰かを置き去りにする必要はない。
共鳴の輪の中で、すべての振動は祝福されている。
だから今日も、自分の振動を丁寧に感じながら、
静かに生きていこうと思います。
コメント