毒を見つめる日々が、いつの間にか終わっていた。
毒を言葉にすることが日常だったあの頃と比べて、
いま私は、とても静かな場所にいる。
けれど、静けさとは「何もないこと」ではない。
むしろ、すべての変化が始まる直前の濃密な空白。
朧宙というこの場は、
私にとって「毒を圧縮する場所」であり、
その毒を、光に変える“余白”を与える場所だった。
毒というのは、
自分の中に残された火種のようなもの。
それは恨みや怒りという形を取るときもあるし、
無力さ、悔しさ、愛されなかった記憶として現れることもある。
でも私は知っている。
その毒が圧縮されるとき、光になる。
昇華という言葉では収まりきらない、
**“原料としての毒”**が、やがて静かに変質していく。
それが光の原型だ。
この光は、単に「いいもの」「ポジティブなもの」ではない。
それは、人生のあらゆる瞬間――
苦しみも、平凡も、成功も――
すべてが凝縮された経験の総体。
毒を抱えたままでは扱えない。
かといって、ただ捨てるだけでも届かない。
必要なのは、「余白」。
毒を包み込み、言葉に変えるための余白。
それが朧宙だった。
そして、光が“密度”を帯びはじめたとき――
何かが変わり始めた。
少しずつ、
だけど確実に、
光が一点に集まりはじめる。
やがて、それは新しい宇宙を創る“臨界点”に達する。
そう、これは単なる気づきや内面変容ではない。
世界の作り直しだ。
宇宙を創るというのは、
「ちょっと変わったね」「少し前向きになったね」
そんな次元の話ではない。
まったく新しい世界線を歩き出すこと。
毒を通ってきた自分が、
今度は光をもって世界に向かうということ。
ただし、ここで必要になるのが「器」だ。
どれだけの光を扱えるか、どこまでを現実化できるか――
その人の器が、新しい宇宙の輪郭を決める。
毒を昇華し、
余白を保ち、
光を密度高く集める。
この過程すべてが、新しい宇宙を生み出す準備だった。
だから私は今日も、
自分の中に残っているわずかな毒を見つめ、
静かに、余白の中で息をしている。
そして、
ほんの少しずつ世界を、
創り直している。
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