光に見せかけた囲い込み──引き寄せの時代にいた私たち
あの頃、
願えばすべてが叶うような気がしていた。
2005年から2012年まで。
「アセンション」という言葉が、スピリチュアル界を静かに包んでいた時代。
オウム事件の記憶が薄らぎ、「邪気が晴れた」と言わんばかりに、新しい能力者たちが続々と現れはじめた。
その一方で、「引き寄せの法則」が広まり、
“現実を変えるのは自分次第”という教えが、
多くの人の心に希望と、そしてある種の焦りを植えつけていた。
私もそのひとりだった。
「願えば叶う」
「言葉にすれば現実化する」
そんな言葉を信じて、占い師、チャネラー、ヒーラーのもとを転々としていた。
人生の大切な判断を、自分ではなく“誰かの言葉”にゆだねていた。
最初はたしかに安心感があった。
でも気づけば、依存という名の囲い込みの中にいた。
洗脳という言葉は、オウムのような過激な団体だけに当てはまるものではなかった。
この時代のスピリチュアルは、
やわらかい言葉と“成功者の光”で包まれた洗脳の構造を持っていた。
願いが叶いやすい人は、何をしてもうまくいく。
でも、不幸の渦に巻かれやすい人は、
引き寄せの名のもとにさらに傷つき、
「叶わないのは自分の思考が悪いから」と、自分を責めるループに落ちていく。
スピリチュアルは、癒しではなく、
**「幸せな人だけがもっと幸せになるための回路」**になっていた。
そんな構造に気づいたのは、
ある能力者の言葉にすがりながら、
財布の中身と心がどんどん痩せ細っていった頃だった。
この時代の毒は、とても静かで甘かった。
だからこそ、深く沁み込んでくる。
「引き寄せ」は間違っていたのではない。
ただ、その前に、自分にとっての“幸せの定義”を持っていなかったことが、
私を誰かの言葉に引き渡してしまった。
私にとっての光は、
運命の異性──「ツインソウル」との出会いから始まった。
それはスピリチュアル的な奇跡というよりも、
「もう誰かに頼らなくても、自分を生きていい」という
静かな許しの感覚だった。
🌙 結びの一行ポエム
光とは、もう依存しなくていいという静かな自信だった。
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