神棚に祀られていたような日々があった。
崇められるような扱いのなかで、私はじっと動かずにいた。
それは尊敬でも特別でもなく、ただ「動けない」という感覚だった。
誰かの依頼がなければ、私は動き出せない。
ツインソウルに会いたいと願っても、それが自然に叶うはずもない。
自分から動かない限り、世界は閉じたまま。
2011年。
ようやく私は、自分の内から届くメッセージを受け取れるようになっていた。
まるで神話に迷い込むように、イザナギとイザナミの再会を模して歩きはじめた。
神棚にいる限り、誰かに動かされるのを待ち続けるだけ。
私はそこから降りて、初めて「創造する」という行為に触れた。
その頃、依存していたスピリチュアルカウンセラーからの空気も変わっていった。
やがて私は、彼女の庇護から外れていく。
自分でメッセージを拾い上げるようになると、日々の中に「漢字」が立ち上がってくる。
ひとつの漢字が、またひとつの漢字を呼び、やがて熟語になり、
まるで宇宙の設計図を紡いでいるようだった。
孤独は、誰の評価にも振り回されない。
間違っても他人のせいにしない。
だからこそ、受け取る言葉の一つひとつに深く染み込める。
そんなある夜、私は思考を超えた“なにか”に飲み込まれる。
自分の意思ではなく、自然に、静かに、両手が動き出した。
指先が宙をなぞるように動き、
その先に映し出されたのは、龍、鳳凰、神々、そして精霊たちの姿。
悲しげで、でもどこか嬉しそうなその光景に、私はただ静かに立ち尽くしていた。
——「この世界を、もう一度つくりなおせ」
そんな声が聞こえた気がした。
ツインソウルと呼んでいた女性が、今どこにいるのかもわからない。
誰が彼女を再び引き寄せてくれるのかも、もうどうでもよかった。
私はただ、受け取った“次なる指令”に耳を澄ませていた。
神棚の外で、孤独なまま、けれど確かに創造を始めた場所で。
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